定価がなくなる日

世界中にあるアウトレット。そこで買い物をすると得した気持ちになります。定価の20%引き等、数値表示がされている為どのくらい得をしたかが実感されるのです。買い物をする人達は割引率もさることながら「定価」というものが正しい価格であると信用しているので、そこから割り引かれた%が大きいほどお得感を感じているハズです。たくさんのブランド袋を抱えて車に乗り込んでゆく人達の顔には笑みが溢れています。

「定価」とは企業が付けた価格です。商品にどのような値段をつけるか、というのは企業の存続をかけた重要な戦略です。製作にかかった直接のコスト、販売にかかる人件費や広告宣伝費、どのくらいの数量が売れるのか、利益はどのくらい取るのか等を勘案して設定されるのですが、数量(売れゆき)が予測通りになることはまれだと思われます。その結果在庫を抱えることになった場合値引きをして在庫処分する場所としてアウトレットが存在しています。

もし提供者が様々なデータを正確に取り込むことが出来たなら、「定価」はどうなるでしょうか。「定価」は「時価」に変わるかもしれません。例えば株式市場のようなイメージ。企業価値に「定価」はありません。市場参加者の心理や需給、経済の外部環境や利益を生み出す力等をおり込みながら時々刻々時価が形成されています。

株式市場取引ほどではないにしても価格が変化する商品が増えつつあります。例えば航空券やホテル宿泊料。これらは供給量が決まっているので需要量に応じて価格を変化させています。その目的は売れ残りを最小化することです。

需給に応じて価格を変える方法はダイナミックプライシングと呼ばれ、コンサートやスポーツイベントでも使用されていますが小売業においても取り入れ開始、と報じられています。一部の家電量販店では在庫量、競合店価格情報に加え売れ筋死に筋などを分析して売値に反映させデジタル表示されているとのこと。価格が時々刻々と変わるわけではないものの、「定価」はあって無きが如しという意味では株式市場の価格表示に近づいているように感じます。

また、百貨店で販売されるアパレル等の値付けはメーカーが行っていますがメーカーは売れ残りリスクを自社で負っているのでその分価格は高くなっています。こうしたリスクを反映する価格をデジタル表示出来れば価格は下げられることになります。

モノの価格が株価のように変動した場合、消費者は「定価」と比べてお得な買い物をしたという喜びが無くなるでしょう。また他人と比べて割高な値段で買ってしまった、買うタイミングを間違えたといった後悔を感じることもあり得ます。妥当価格を見定める見識が求められるという面倒もあります。

もしかすると「定価」は人に幸福感を提供する為に存在しているのかもしれません。しかしながら今後さらにデジタル技術が進歩したとき、「定価」という概念は残るのでしょうか。完全に無くなることはないにしても増々希薄になってゆくものと思われます。消費者は自分なりの価値と価格を見極める力がモノを言う時代になることでしょう。